2010年08月03日

母の記憶

私が風邪でゴロゴロしていた日

近くに暮らす母がきて

何年ぶりかでゆっくり話した。

母の生い立ちは何回か
聞いたことがある。

その日は、神戸大空襲で
逃げ回った話。

私達が子供の頃
母は、空襲の話をよくしてくれた。
今回聴いた話より
もっとリアルですごかったと思う。

私の息子に聴かせてやりたいと
母に頼んだことがあったけど
話したがらなかった。

以前聴いて、聞き違いしていると
きがついたこともあった。

母は戦時中、寝たきりの祖母を
介護しながら三菱重工で
働いていた。

空襲のその日
隣のおばさんから
「今日は危ないから逃げたほうがいい」
と言われて、祖母の下着、寝巻きだけを持って
自分より背丈の大きい祖母を背負って
みんなと逃げ回った。

祖母は背が高いので
走り回っている間に
足先が地面に着いていたらしく
履かせていた足袋がウンコだらけやった。

集団で逃げ惑っていたらしく
湊川で自然に逃げる方向が
グループごとに分かれたらしい。

母は祖母が重くて傍の高架下に入ったらしい
そこには近くの刑務所から解き放された囚人たちが
同じ囚人服をきていっぱいいた。

躊躇できないほどに疲れていた母に囚人達が
「お母さんをここに寝かし」と言って
場所を空けてくれた。
背から祖母を下ろせた母は嬉しかったと。。。

その後、「何か家から持ってくるものがあれば
 とっておいで、お母さんは看ているから」と
言って貰えたので、布団を取りに帰った。
寝たきりの病人にふとんは要るから。。。

そうしている間に空襲は終わり
同じ田舎から出てきているおじさんが
ふたりを連れて帰ってくれることに。

荷車に長持ちが積んであり、その上に
布団をしいて祖母を寝かせ布団を着せて
下半身が解らなくなっている身体を
紐で結わえて神戸から加西へと出発した。

長い道のり、祖母はくくられている
苦痛と痛さで、途中でみんなに
「もうここで降ろして放ってほしい」と言い出した。
母は、乗せて連れて帰ってくれているおじさんに
なんともいえない気持ちになった。
祖母の痛みもわかるけれど、痛みを訴えることは
おじさんたちにワガママととられて怒られないかと。。。

おじさんは母に「どないする?」と訊かれた。
母は「連れて帰って」というよりほかなかった。
祖母を思いやっても、帰るしかない。。。

痛がる祖母を連れて、加古川まで帰ってくると
コーリャンの入ったおむすびが配られた。

そこから女子供はバスが出ていたけれど
祖母を頼んでいるのに
自分はバスに乗りたいとは言い出せなかったと。
でもおじさんは「連れて帰るからおまえはバスに乗れ」と
言ってくれた。もう足が前に出ないくらいの母は
「あんなに嬉しかったことはない」

親戚の納屋に疎開して一年足らずで祖母は亡くなり
独りぼっちになった母は紹介する人があり
私の父と一回の見合いで
親戚のお兄ちゃんの自転車にのせてもらい
小さな風呂敷包み一つで嫁入ってきた

夏になると、母の空襲の話がおもいだされる。

戦争を生きた人の苦労は忘れてはいけない。
日本の夏はみんながその気持ちにならなければいけない。


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Posted by はっちゃん  at 18:09 │Comments(0)日記

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