2010年05月11日
過去はとりかえせない
私のブログにコメント下さった障害者のかたのお兄さん。
私ををやさしい母親として見てくださって
ご自分のお母さんを弟さんには良くない母親だと。。。
もし私のブログの書き方が私をそんな風に
思わせるようなら謝りたいです。
ほんとうに今の状態(夏子が寝たきりで施設にお世話になっている)だから
私が、穏やかなのかも知れないのです。
暴れまわっている時は「歩けなかったら助かるのに・・・」と
何回思ったかしれないのです。
毎日、大変だったのですが、それにしてもこんなことを
思った母親が今になっていい母親に思われるのは辛い。
夏子が歩けなくなったのは
いつも、私が「歩けなかったら良いのに」と思い続けたから
歩けんようになったんじゃないか?
「いやいや、神様がお母ちゃんの足がもうもたへん」と
ベッドに寝かしてくれとってんやないか?
両方の気持ちです。
兄弟としての気持ちを拝見して
私も、息子に障害者の兄として巻き添えにしてしまったことを
何度も何度も、心で詫びました。
息子の子供らしい無邪気な子供時代を犠牲にさせたかも知れません。
それなのに、もう完全に大人の息子に、いくらでも不満はあり
息子のしてきた苦労を知らないとはいえ今でも辛く当たってしまう。
コメントをくださった方がお母さんを批判されているのを見て
わたしが批判されているようで追いつめられた気がしています。
その方はどんな風に弟さんとかかわっておられるのか
ちょっと分かりませんが
うちの息子は「なっちゃんがいれば嫁はいらん」のではないかと
こちらが心配している状態で
私が夏子のことばかりにかかりっきりだったのに
私への批判はありますが、だれもが公認のなっちゃん大事です。
私もそれは自慢なんですが、自分だけのことをして欲しいと
贅沢?な不満です。
家に夏子がいたころは、虐待で通報されても仕方ないくらいに
恐ろしい私に、息子が批判の目を向けていたことを憶えています。
障害の子をもったということは、当の子供と家族に母親として
申し開きできない罪の意識を持つものです。
永い永い葛藤があり、泣いたり怒ったりしながら
いつのまにか笑うこともあったりして
やっと開き直れる日が来て、障害者のいる家族になると思うんです。
コメントを下さった方も、お母さんの言動が
今は永い一生の過程の一こまとして受け止めてくださり
お兄さんとして、介護する一員になって当事者になられたら
お母さんへの理解が深くなるのではないかと思いました。
もう今は、何が何でも親が最後まで・・・は考えなくてもよいのでは
ないかと思います。それだけ福祉は進んできているとおもえるのです。
障害者がいても、辛くは生きない、本人も家族も。。。。
それが保証されなければ、生きにくいギスギスした人生で終わるんですもの。
私ををやさしい母親として見てくださって
ご自分のお母さんを弟さんには良くない母親だと。。。
もし私のブログの書き方が私をそんな風に
思わせるようなら謝りたいです。
ほんとうに今の状態(夏子が寝たきりで施設にお世話になっている)だから
私が、穏やかなのかも知れないのです。
暴れまわっている時は「歩けなかったら助かるのに・・・」と
何回思ったかしれないのです。
毎日、大変だったのですが、それにしてもこんなことを
思った母親が今になっていい母親に思われるのは辛い。
夏子が歩けなくなったのは
いつも、私が「歩けなかったら良いのに」と思い続けたから
歩けんようになったんじゃないか?
「いやいや、神様がお母ちゃんの足がもうもたへん」と
ベッドに寝かしてくれとってんやないか?
両方の気持ちです。
兄弟としての気持ちを拝見して
私も、息子に障害者の兄として巻き添えにしてしまったことを
何度も何度も、心で詫びました。
息子の子供らしい無邪気な子供時代を犠牲にさせたかも知れません。
それなのに、もう完全に大人の息子に、いくらでも不満はあり
息子のしてきた苦労を知らないとはいえ今でも辛く当たってしまう。
コメントをくださった方がお母さんを批判されているのを見て
わたしが批判されているようで追いつめられた気がしています。
その方はどんな風に弟さんとかかわっておられるのか
ちょっと分かりませんが
うちの息子は「なっちゃんがいれば嫁はいらん」のではないかと
こちらが心配している状態で
私が夏子のことばかりにかかりっきりだったのに
私への批判はありますが、だれもが公認のなっちゃん大事です。
私もそれは自慢なんですが、自分だけのことをして欲しいと
贅沢?な不満です。
家に夏子がいたころは、虐待で通報されても仕方ないくらいに
恐ろしい私に、息子が批判の目を向けていたことを憶えています。
障害の子をもったということは、当の子供と家族に母親として
申し開きできない罪の意識を持つものです。
永い永い葛藤があり、泣いたり怒ったりしながら
いつのまにか笑うこともあったりして
やっと開き直れる日が来て、障害者のいる家族になると思うんです。
コメントを下さった方も、お母さんの言動が
今は永い一生の過程の一こまとして受け止めてくださり
お兄さんとして、介護する一員になって当事者になられたら
お母さんへの理解が深くなるのではないかと思いました。
もう今は、何が何でも親が最後まで・・・は考えなくてもよいのでは
ないかと思います。それだけ福祉は進んできているとおもえるのです。
障害者がいても、辛くは生きない、本人も家族も。。。。
それが保証されなければ、生きにくいギスギスした人生で終わるんですもの。