2010年01月03日
私も無駄にしない
もう亡くなられた三浦綾子さんの
書かれた本がとても好きで、
暮れから「心のある家」をよんでいました。
エッセー集なんですが、とても私の心に響いた
私もそう思っている文章があったのでご紹介します。
用いられたみどり児
20幾年か前、ある所に一人の男の子が生まれた。
思い障害を背負っての誕生であった。
キリスト者の両親は、毎日涙のうちに祈ったが、
男の子はわずか8ヶ月で天国に召された。
両親はこの子のために、真っ白な墓碑を建てた。
その十字架には「すべて労する者重荷を背負う者我に来れ」と
かかれてあった。両親は命の短い薄幸な我が子の一生が、
どんな意味を持っていたのか、神に問わずにいられなかったのであろう。
それからどれほども経たぬ頃、その墓の有る山裾に住む
ひとりの青年が、ブタの肥を籠にどっしり積んで、坂道を登って来た。
その畠への途中に墓があり、十字架がそこにたっていたのだ。
青年は思い肥を背に負って、汗を流して登っていた時だったから
いきなり目に飛びこんで来たこの聖句は、実に印象的だった。
これがこの青年と聖書の言葉との出会いであった。
青年は間もなく、怪我のため首から下が麻痺する体となってしまった。
が、この聖句が彼をキリストにあわせてくれた。
彼の名は星野富広といい、今や全国に、筆を口にくわえて描く
詩画で広く知られるキリスト者である。
20数年を経て、その赤児の両親神部亮氏夫妻は、神が我が子の命を
尊く用いて、この青年を救いに至らしめたことを知った。
講談社 2001年発行の心のある家から抜粋しました。
先日も私の娘が何故そのような障害をもったのか?
妊娠中になにか病気をしたのか?
いろいろ訊かれた。
もうとっくにそんなことを考える時期は卒業しており
心配して下さっての言葉かとも思ったが
「なにが原因かは、神のみぞ知る、と思ってます
わたしが娘を引き受けた意味だけを思って、
娘に恥じない生き方をこころがけています。」
と申し上げておいた。
障害をもった娘と親子になったことは
私の人生において絶対無駄にしてはならない、
無駄にしない、と誓っている。
こういう私は傲慢だろうか?