2009年10月04日
父の28回忌法要
父は56歳で、昭和56年の彼岸になくなった。
祖母(父の母)がすぐ亡くなったので、その親に子供として育てられ
若くして結婚し私たち5人の子供を育て上げた。
私は長女なので、両親の苦労を目の当たりにしてきたため
「早く両親の役にたちたい」と子供なりに思っていました。
その父が、老後を楽しむ間もなく他界してしまった。
胃がんが進行してしまってからの発見であったし、
強靭な気力の人であったため、手術を拒み、
自分で最後を決めて亡くなってしまったのでした。
「自分の思いどうりにしたなぁ」と
感心もし、物足りなさもありました。
色々なことがある度、
「父がいたらどう考えただろう」
「お父さんやったら、みんなにこうしただろう」と
思うことがある。
私は、怖かったけれど父の頑固さを尊敬していた。
私の結婚式に親戚のなかに前科のある人がいた。
母は、わたしの嫁ぎ先にそのことを知っている人もいるから
結婚式には呼ばないで欲しいと父に言ったけれど
父は頑として利かず呼んだ。
私には知らない時期のことであり、「そんな大そうなこと?」
くらいにしか思わなかった。
父は筋を通す人だったので、みんなから尊敬されていた。
かくありたい、墓前でてをあわせたのでした。

祖母(父の母)がすぐ亡くなったので、その親に子供として育てられ
若くして結婚し私たち5人の子供を育て上げた。
私は長女なので、両親の苦労を目の当たりにしてきたため
「早く両親の役にたちたい」と子供なりに思っていました。
その父が、老後を楽しむ間もなく他界してしまった。
胃がんが進行してしまってからの発見であったし、
強靭な気力の人であったため、手術を拒み、
自分で最後を決めて亡くなってしまったのでした。
「自分の思いどうりにしたなぁ」と
感心もし、物足りなさもありました。
色々なことがある度、
「父がいたらどう考えただろう」
「お父さんやったら、みんなにこうしただろう」と
思うことがある。
私は、怖かったけれど父の頑固さを尊敬していた。
私の結婚式に親戚のなかに前科のある人がいた。
母は、わたしの嫁ぎ先にそのことを知っている人もいるから
結婚式には呼ばないで欲しいと父に言ったけれど
父は頑として利かず呼んだ。
私には知らない時期のことであり、「そんな大そうなこと?」
くらいにしか思わなかった。
父は筋を通す人だったので、みんなから尊敬されていた。
かくありたい、墓前でてをあわせたのでした。

